2014.12.03
私は36歳、独身女性。ライターという仕事も忙しく、そこそこの出会いにも恵まれていると思う。でもなぜだろう。ここ数年間、恋愛と呼べるような出来事はない。できれば結婚はしたい。好きなことなら、仕事も続けたい。気のおけない仲間たちとの楽しい時間も、一人の愉悦の時間も大事にしたい。でも、時々モーレツに誰かに特別に愛されたいとも思う。昨今こういう女を世間では“こじらせ女”と呼んでいるけれど、正直、メディアに出てくるそれにはどうも共感しがたく、違和感を持っているのは私だけだろうか。
今回、そのモヤモヤとした感情を、ある女性に恐る恐るぶつけてみた。ライターとして映像から恋愛まで幅広いジャンルを、論理的鋭さとオンリーワンの視点で斬る、林永子さん。4時間にもわたる長尺酒盛り取材で繰り広げられた、強烈な永子節に私の脳は何度もパンク寸前だった。しかし、あの取材から約1か月、私は今とある男性に恋をしている。
野武士のような強さと、昭和の女らしい外連味を併せ持つ不思議な女性、林永子という生き方に、悩める三十路女の人生にとっての、一筋の希望を私は感じた。
林 永子(Nagako Hayashi)
1974年、東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業後、MVを中心とした映像カルチャーを支援するべく執筆活動やイベントプロデュースを開始。現在はライター、コラムニスト、イベントオーガナイザー、司会として活動中。
連載コラム/messy「ナガコナーバス人間考察」
Nagako Hayashi WEBサイト
●“付き合わない”の美学
――永子さんの仰る“アドレナリン至上主義”の恋愛ってどういうものですか?
林永子さん(以下H、敬称略):インスピレーション。音楽や絵画、美味しいご飯とか、自分が生まれてきてよかったって思うくらい、感覚が痺れるもの。美しくて、陶酔感のあるものです。
――非現実的なものなんでしょうか?
H:音楽とかの解釈も人によって色々あると思うんだけど、私にとっては命に代えがたい現実の重要なファクターなんですよ。とはいえ、恋愛の現実って人間関係でもあるから、好きな男性とデートしようとか、SEXしようとか、色んなことが起こるけど、陶酔感が減ってしまうなら、約束や関係性を持たなければいいと思うんです。
――それはプラトニックでいいということですか?
H:それでもいいし、SEXはしたければすればいいだけなんだけど、ただ、付き合う約束をしなくてもいいんじゃないかっていうことなんです。一瞬の感情の共有と関係性の約束は別の話というか、矛盾するので。実際、私は30代まともに誰とも付き合っていないんですよ。
――そうなんですか!? 20代まではお付き合いをされていたんですか?
H:普通に相手も私のことが好きであれば、付き合うのは当たり前のことだったんですけど、だんだんおかしいぞってことになってくるの。お互いの家を行き来したりしていると、やにわに生活感が出てくるでしょ? 付き合ってしまうとその人との関係性を大事にするがあまり、恋愛の陶酔感が減っていってしまうのが私は嫌なんです。それをきっかけに、自分の性格的にも、仕事的にも透明感も保てるから、誰とも付き合うのはやめようと決めたんです。
長崎編集長(以下N):といいつつも、恋は突然やってくるものだからね。
H:確かに。だから、恋は恋で、突然や偶然に受粉しちゃいました、花咲いちゃいましたみたいな感じでいいんじゃないかと。それが無上の喜びでもあるから。そこへ、継続性の約束とか、男の人を頼りにしたりだとか、甘えたりだとか、一番くだらないのは彼氏がいないとかモテないって思われることが嫌だとか、そういう体裁的な問題を入れたくないんですよ。
N:でもそれって、恋と愛とは違うじゃん。
H:全く別物ですよ。本当に愛そうと思ったら、愛されなくても愛するし、愛すら諦められますよ。愛のためなら、甘えも打算も切り捨てる。昭和生まれの浪花節ですよ。私が生きている世界は演歌です(笑)。
――ド演歌ですね(笑)。愛することと付き合うことをイコールにしないということですか?
H:付き合っていても、付き合っていなくても、愛することは全自動だし、同じだと思うの。そもそも、私自身が付き合うということに執着がないんですよ。付き合うって、束縛や所有欲だったり、名刺代わりに自分にはステディがいるんですっていうのを人に見せるための、アイテムにする人っているじゃないですか。それって愛に対して失礼なことだと思うんです。
N:彼氏が出来たって言うと、どんな人? って必ずなるよね。でも、それってスペックでしょ。
――確かに女子はそういう恋愛審査会みたいなのが、好きな人が多いですね。
H:そういうのが面倒くさいと思ったら、そういう女はもちろんのこと、好きな男とも付き合うことを辞めちゃえばいいんじゃない? だって彼のことは、どのみち、好きは好きなんだもの。そこに形とか役割を求めるのは自己愛だから、相手への愛じゃないなら捨てちゃえばって思うんだよね。
――恋愛は自己完結していないと成り立たないということでしょうか。
H:その解釈は色々あって、例えば結婚するためのプレとしての恋愛をする人もいるだろうし、切り離して考える人もいるだろうし、付き合う中でも愛情面というよりかはセフレに近い感覚の人もいるだろうし、人それぞれでしょう。私は自己完結が好きなだけ。清潔だから。でも、いい女やいい妻やいい恋人の型にすぐハマろうとする日本人は、そういう自分の希望について相手と喋らなさ過ぎかもしれないね。せっかく付き合うって約束をするんなら、上手くいった方がいいじゃない。でも、型の演技をしたがったり、そこら辺を謎にしておく方が盛り上がるっていう計算もあるとは思うけど。私はそういう駆け引きが苦手だから、なんでもストレートに話し合うんだけどね。
――永子交際100箇条みたいなものがあるんですか?
H:向こうもあるだろうし、ひとつひとつどう思うかって最初に話し合うの。それをやらないから、みんな揉めるわけでしょ。結婚する時も単純にハンコ押してハッピーみたいな感じで終わりじゃない。ノリで付き合っても良いことなんかひとつもないから、大の大人が付き合うんなら、生活の話しや結婚観とか、そういうことも含めて事前に話し合うべきなんだよ。結果、誰とも付き合わないっていう透明感(笑)。
N:趣味が合うとか、好きなことが一緒っていうんじゃなくて、本来、嫌いなことや許せないことが一緒の相手を見つけた方が良いよね。何故なら好きなものは変わるから。
H:日本人の傾向かもしれないけど、嫌いって言葉に対する過剰反応がありますよね。でも、私はこういうことが嫌いなのってはっきり言うことって、実はすごく優しいことだと思う。同調圧力に負けそうなのか、もしくはモテようとするためなのか、そこで嘘つこうとする人もいるじゃない。でも、全然違うってことをお互い尊重して、笑いあえる感覚って、本当はすごく成熟していて平和だなぁって思う。