2014.10.18
髙橋洋服店は、銀座で一番長い歴史のある注文洋服店だ。
大半の日本人がまだ和装だった明治20年代の初め、初代店主は、横浜の外国人から直々スーツの縫製技術を習い、その後に銀座に店をかまえたという。二代目の店主がその身代を継いだのが明治36年。その年をもって創業年としている。明治の日本のスーツの原型を追いかけた黎明期を経て、大正、昭和と2つの時代を越えた今、伝統のバトンを握るのは4代目店主・高橋純さんと、その息子・高橋翔さんである。
純さんはイギリス、翔さんはイタリア。それぞれオーダースーツの本場で修行し、その経験、そのエッセンスを日本に持ち帰った。服地を選ぶことから、採寸~仮縫い~補正~縫製~検品まで、顧客の要望すべてを技術者自身が承るスタイルを貫いている。
1世紀以上もの間、本物の洋服づくりに徹しながら、銀座のど真ん中で、東京の移り変わりを見てきた高橋一族。今回、髙橋洋服店に取材を申し込んだのは、まぎれもなくオーダースーツ界のサラブレッドであるお二人の審美眼で、今の“東京オトコのスーツ”について語っていただきたかったからだ。「既製服のスーツは一着も持っていない」という筋金入りのテーラーメイド・マンのお話、余すことなくお届けしたい。
「スーツは買うものじゃないよ。誂えるものなんだよ」
高橋純さん(以下、純さん):今は、既製服一辺倒になったけど、そもそもスーツは買うものじゃなく、自分にふさわしいものを一着ずつ誂える(注文して作る)ものなんです。注文洋服店に出向いて、テーラー(職人)と相談しながら、服地を選び、採寸をし、仮縫いをしたうえで、職人が手作業で縫い上げたスーツを着る。これが当たり前でした。
とりわけお金持ちだとか、家柄が良いとか特別なことではなく、平均的な家庭の親父なら誰もが誂えていたし、その息子たちも、人生で3回くらいスーツを仕立ててもらえる機会がありましたね。成人式でしょ、大学入学の時でしょ、あとは、社会人になる時ね。男にとって、「スーツは当然オーダーするもの」だったわけです。
でも、今はどうかっていうと、オーダーしたことない人の方が圧倒的に多いですよね。30代40代ならざら、50代、60代の方でもいますし、中には「へぇ! スーツって、オーダーできるんですか?」って言う人さえいる。
私がこの世界に入った1970年代、同業者の間でこんな合言葉がありました。「靴屋の轍は踏むまい」。靴も本来、注文して作るものだったけど、当時ほとんどが既成品になっていたんです。スーツも、高度成長期の到来とともに、仕事着として着られるようになって、大量生産の必要があったけれど、半分くらい、注文服のシェアは残っていたから、職人たちはなんとか踏ん張って、保とうとしてきた。ところが、ある日、簡単に靴屋と同じことになってしまったんですね。
誰がわるいというのではなく、スーツがビジネスマンのビジネスウェアとして完全に定着してしまったから。激的に増えた需要を満たすためには、より多くの時間と労力を必要とするビスポーク(注文服)より、どうしても既製服のような効率性のあるものが必要だった。これが、それまで普通にあった注文服の文化が、この国で影を潜めた一番の理由だと思います。
既製服は、時代的要請に応えるための智慧。たしかに一理あるけれど、昨今、町を闊歩する男性諸君を見ていると、物申したくなることがたくさんありますね。
「ネクタイ外してもいいけど、恥ずかしくない格好をしてほしいね」
純さん:今、私、電車で通勤しているんですよ。誤解を恐れずに率直に言いますが、
毎年5月の連休明けになると、とたんに乗客が、みすぼらしく見えはじめるんです。なぜかって言うと、スーツを着てネクタイを締めているから、何とか見られたビジネスマンたちが、安易にネクタイを外しただけのスーツ姿になってしまうからです。いわゆるクールビズに則って、そうしているだけかもしれない。でも、やっぱりだらしなく見えてしまいますね。
百歩譲って、暑くなってネクタイを外すのは良いとしても、ネクタイを外すならそれに相応しい装いというのがあります。例えばジャケットにトラウザースというセットアップスタイルにした方が、よっぽど美しい。男のお洒落は、ファッションではなく、自分自身をしっかりと表現すべく確立された“スタイル”であるべき。面倒くさい、時間がない、で済ませるのではなく、自分にも、周りにも恥ずかしくない装いを意識して欲しいですね。
翔さん:とはいえ、一方では、「上司よりいい服を着てはいけない」という暗黙のルールもあるようです。サラリーマンの友人いわく、上司がワイシャツ一枚なら、自分もワイシャツで、スーツを着てネクタイを締めているなら、自分も…というように、同じような服装で出社することがマストであると。こういう社風の中で、ポケットチーフやカフリンクスなんてしようものなら、たいへんなことになるでしょう。特に取引先を訪問する場合など、 “先方に合わせた装い”が前提。日本人の上下関係が生んだ文化を守りつつ、自分の“スタイル”を築いていっていただければいいなと思います。
オーダースーツのキモは、体型補正。
「だから、みんなかっこよく見えるンだよ」
純さん:セミオーダーとか、パターンオーダーとか、今はオーダースーツにも色んな種類があるようだけど、勘違いしてはいけないのは、ズボンの裾を上げたり、袖丈を合わせたり、生地の色や釦の種類を選ぶことが、注文服ではないということです。
例えば、バスト寸法が同じ90センチの人でも、平べったい人もいれば、丸い人もいるし、ヒップだって、同じ100センチの人でも、飛び出ている人もいれば、骨盤の角度だって、十人十色。肩だって、左下がりの人、右下がりの人、なで肩、いかり肩…色々あるでしょう? その人、その人の体のクセを踏まえながら、いかにバランス良く、カッコ良く見せるかを考え、体型補正していくのが、オーダースーツの真髄。これができているかどうかが、注文服の最低条件です。手で縫われているに越したことはないけれど、逆に、これさえできていれば、機械縫いでも注文服といっていいでしょう。
なにより、体型補正をされたスーツを着ると、誰もがかっこよくみえる。こればっかりは、実際に袖を通してみなければ、実感することが難しいんですが、うちで初めてオーダースーツを作られるお客さまは、総じて、「洋服って、こんなに違うんですか! はじめての着心地です」と驚かれますね。
翔さん:試しに、同じくらいの寸法の友人のジャケットを着てみたことがあるのですが、手が前に出なかったですね。
サイズが小さいということではなくて、考え方の問題。ハンガーにかけて、美しく見えるジャケットの袖付けは着た時に手が前に出にくくなる。でも、着心地の面でいうと、あくまで自分の寸法に近いサイズを選ぶ既製服には限界がありますよね。体にフィットしているように見えますが、文字通り、そう見えるだけだから。
東京男子たるもの、一着はオーダースーツを誂えるべし!
純さん:洋服が好きでオーダースーツを作る若い人、けっこういるけれど、東京中の有名テーラーをまわって、「僕、一着ずつ、持ってます」というのは、いただけないですね。これは、スタンプラリー。ましてや、「日本は制覇したから、次はイギリス、イタリアで作ろう」なんていうのは愚行の域。お洒落が分かっていない人のやることです。
例えば、食事に出掛けるにしても、情報誌やネットを見て、あっちこっちに行く。皆がそうとはかぎらない。でも、今の若者は、自分がいいと思うその感覚をたよりに、こだわる意識が希薄になっていて、コレクター化したり、やみくもにトレンドを追いかける傾向にあると思います。
大事なのは一見さんじゃなくて、気に入った店の常連になることだと思います。
襟幅を広めにしたり、狭めたり、肩幅を大きくしたり、小さくしたり、時代の空気に合わせて、我々も多少の変化は取り入れますよ。でも、注文服店にはそれぞれ不変のスタイルがベースにある。パニコならパニコ、ハンツマンならハンツマン、髙橋洋服店なら髙橋洋服店というように。それを体感することこそ、ビスポークの醍醐味なんです。
オーダースーツを作る時は、「この人に作ってもらえば、間違いない」という人をひとり見つけて、そこのハウススタイルで一着誂えてみるべきですね。
「ゴージはこういう風にしてください」「ズボンの幅はこれくらいにしてください」とあれこれ言わないことです。料理屋に行って、「わるいけど、今日はしょう油味にしてくれる?」 って言うのと同じで、ある意味、作り手に対して失礼にあたるからです。はじめて誂えるなら、なおさら任せた方がいいでしょうね。
男のお洒落で一番大切なことは、“当たり前の洋服を当たり前に着ること”だと純さんは言う。しかも、ちょっと色っぽく。「色っぽく着られない人は、男をやめた方がいいだろうね。ちょっと考えればなれるもの。考えていないからなれないんですよ」ときっぱり。本物の言葉はやはり強い。
東京の男は忙しい。でも、それを理由に、お手軽な流行りものや、ちょっと高いけど、「これを着ていればなんとなく見栄えがいいかな」とたまたま見つけた代物に身を包むことは、既に用意された選択肢の中から、サイズや嗜好に近めなものを探すこと。そんなの常識でしょ? と言われたら、それまでだけど、“有るモノに自分を合わせるのではなく、自分に合うモノを作る”というオーダースーツも、男らしくていいのでは? 余談になるかもしれないが、さいごにひとつだけ。いち女性として、これだけは胸を張ってお伝えできる。女にとって未知の領域にこだわりを持つ男はスペシャル。とても素敵だ。
銀座 髙橋洋服店
東京都中央区銀座4-3-9 タカハシ クイーンズハウス 3階