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2014.09.17

vol.2 TOKYO 30s girl
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Career mirrors on her face
 キャリアは女の顔に現る。
 東京30代女子は多面体なり。

30代は女子にとって複雑かつオモロイ時期だろう。キャリアにスポットを当てれば、会社勤めからフリーランスとして独立する人、全くの異ジャンルに参入する人、これまで培ってきた仕事をさらに色濃く育てていく人…東京だからこそあり得るさまざまな生き方がある。
結婚している、していない。子どもがいる、いない。離婚した、再婚したなどなど、プライベートな部分も含め、今回は、異なるキャリアを持ち、異なる生き方を貫く美しき3人の30代女子をお招きしてのスペシャル座談会をお届けしたい。


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──みなさん、今日はお集まりいただきありがとうございます。 ご三方、初対面ということも兼ねて、まずは自己紹介をお願いできますでしょうか?

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渡辺未来さん(以下、渡辺):某音楽会社の会社員として働きながら、副業でフードライターとして活動しています。元々は、商業施設・店舗等のデザイン会社に就いていましたが、30代前半の頃、前の夫と離婚することになりまして、「この先もし、ひとりで生きていくとしたら、年収アップしないと!」と。ご縁あって、異業種に転職しました。プライベートでは、昨年再婚しました。

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いまいゆうこさん(以下、いまい):文化服装学院のスタイリスト科を卒業後、アシスタントを経たのち、23歳から独立して活動をはじめました。雑誌・広告やアーティストやタレントさんのスタイリングを手掛けさせていただいています。ずっとフリーランスでやってきまして、はや15年。時が経つのは本当に早いもの。私のような業務形態の場合、仕事の依頼がなければ、休日となるわけですが、近ごろは、20代の頃みたいに予定を詰め込みすぎるのではなく、どんなに仕事が忙しくても、友だちと食事したり、プライベートでゆったりできる時間を持つことを大事にしています。

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松尾美貴子さん(以下、松尾):仙台の高校を卒業後、東京のファッション系の専門学校に行きましたが、「やっぱり現場だな」と思い、1年で辞めました。その後、アパレル会社に入り、販売員、生産などファッション業界のひと通りを経験してみて、「PRの仕事が一番自分に合っているかも」と実感。23歳の時、独立して今の会社をつくりました。


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──松尾さん、「23歳で独立して会社をつくった」とさらりとおっしゃいましたが、 そのきっかけって何だったんですか?

松尾:当初、勤めていた会社では、私を含めて3人のプレス担当者が、常時100ブランドくらい担当していたんです。1人につき約30ブランドを受け持っていたので、おのずと力も分散されますし、なにせ下っ端だったので、自分が良いと思うブランドをプッシュできない。当然ながら、会社としてのルールも色々あって、未熟なりにも不満がありました。だったら、いっそのこと、「自分が本当にいいと思うブランドを自分の言語で伝えられる仕事をしたい」と思ったんです。独立する道しか、当時の自分の頭にはなくて、「もう、やっちゃおう!」みたいな感じでスタートしましたね。

渡辺:身ひとつ、あとは人とのつながりで…?

松尾:そうですね。あまり気負いなく、本当にびゅっとはじめられたんです。たまたま親しくしていた社長さんからイタリアのデザイナーズブランドを紹介していただいたり、友人がアクセサリーのデザイナーとして独立することになって、そのプレスを担当することになったり。新しいことをはじめる時って、良いことが重なるタイミングってあるんですよね、きっと。

渡辺:お若いのに、すごいですよね!

松尾:起業した当時は、主に雑誌でしたが、今はウェブのメディアを専門的に扱っています。でも、ブランドをやられている方が、直接メディア関係者にコネクトすることってやっぱり難しいところがあるので、そこを仲介させていただいている立場に代わりはないのかなと。

──いまいさんも23歳の時に独立して、長くスタイリストとして活躍されていますよね?

いまい:いやー、でも、今松尾さんのお話をうかがって、自分は甘いなと思いました。スタイリストを目指した頃から、アシスタントを雇う立場になった今に至って、ずっと感じていることですが、地方から出てくる人たちはみんな、ある種の覚悟を決めたうえで、こっちに来ているわけで、そもそも“気合い”が違う! 私は蒲田が実家なので、極論、いざとなれば帰れるところがあるわけです。アシスタント時代、2人のスタイリストについていたので、アルバイトする時間さえなかったんですが、それも実家があったからできたこと。とりあえず寝るところはあるし、ちょっとくらい仕事がなくても、どうにかなるだろうという気持ちがありました。家がなければ、心折れていたかもしれません。

渡辺:同感ですね。家賃問題は大きいと思います。20代の頃、インテリアデザインの会社に長く勤めていましたが、給料めちゃめちゃ安いんです。たぶん、ひとり暮らしだったら、相当きつかったなと。「東京に実家があるってずるいよね」と地方出身の友達からは言われましたが、「だって、生まれちゃったんだから仕方がないじゃない!」と言いたくなる反面、いまいさんが言うように、気合いでは、やっぱり適わないですね。

いまい:私、高校3年生の時、はじめて、スタイリストという職業を知ったんですが、表面的な部分の、きらびやかな世界への憧れだけで入ったんですよね。でも、実際、仕事としてやってみると、おばあちゃんのスタイリングもしますし、人ではなくて、「目が死んでいない生魚と網を用意して!」という要望があったり、イメージを覆されることがたくさん起きました。でも、そういう裏の部分も色々と見てきたうえで、「ああ、私は、やっぱりこの仕事が心底好きだな」と、最近、あるアーティストさんのPVのスタイリングを担当した時、改めて実感しました。

渡辺:スタイリストって、体力的にもたいへんなお仕事だって聞きます。

いまい:そうですね。最近、さらにひしと感じるようになりました(笑)。20代の頃は、徹夜続きでも、若さでなんとか乗り切れましたが、今は栄養ドリンクなしでは、もはやきびしいですもん。アシスタント時代に辞める人はパッと辞めて、違う仕事に就くことは多かったですね。今も続いている人は数えるくらいだし。

──会社員とフードライターの二足のわらじを履く渡辺さん。最初の旦那さんと離婚される時に、本業の転職の時期が重なって、「もっと稼げる仕事に就こう!」と思われたそうですが、たいへんな時に、すごい心意気だなと同じ30代女子として心を打たれました。

渡辺:いえいえ、そんなかっこいいものではなくて、仕事もプライベートも“暗黒の時代”を経ての今ですよ。転職しても、社内の空気に中々馴染めず、どこか外れているところがありましたし。離婚に関していえば、ハンコを押してもらうまでに1年半かかりました。でも、悩みあぐねた末、もうひとりの自分から、「こんなことで悩んでいる場合じゃないでしょ、あなたの人生は!」ってツッコミが入ったんです。そこで気持ちスイッチが切り替わりましたね。それからは、「離婚をひとつのゴールにした時に、どうすれば、一番早くできるのか?」とシュミレーションしはじめました。

松尾:男っぽいというか、理論的にものごとを進めていく感じですか?

渡辺:一回決めちゃえば、仕事といっしょかなと思いましたね。ひとりでできなかったら、たとえば父親も巻き込んで、3人で話すとか(笑)。実際、状況がちょっとややこしかったので、いろんな方の力をお借りしました。

松尾:人海戦術的に離婚!

渡辺:はい(笑)。仕事に関していうと、今の会社ではそれなりに充実しているんですが、前に比べて時間の余裕がかなりできました。だから、ライタースクールに通って、フードライターの仕事をさせていただける今があるんですが、取材を兼ねた飲み代の方が原稿料より多かったり(笑)。でも、趣味と仕事を兼ねて、人や場所との繋がりが広がっていくのは、ホント幸せです。

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