2017.06.19
ラーメン大好きっ子なら一度は行ったことあるかも?荻窪駅。何気に超絶便利な駅で、新宿駅から中央線快速で4駅目(休日は2駅目!)、丸の内線は終着駅、そして東西線も乗り込み、北口駅前には「LUMINE」や大手チェーン店が種類豊富に揃い、全国でも有名なラーメンが立ち並ぶ。しかし、他の中央線にある変態アブノーマルな街(どことは言わない)に比べ、家族思いのプレーンなイメージがある荻窪。ファミリー層もお一人様も、ご高齢の方も若い方も道を歩いていく。在住歴7年のIT業界で働く2児のママ、Sさんも言う。
「荻窪は、住みやすくて、子育てしやすい。安心感のある街。近所にママ友がたくさんできて、地域とのつながりを意識できる。どんなステージでも、楽しめる街だよ。」
そんな荻窪だが、大正から昭和初期にかけて、東京近郊の別荘地として西の鎌倉、東の荻窪と称されるような憧れの街だった。与謝野晶子・与謝野鉄幹が南荻窪(現在の荻窪南)に居を構え、井伏鱒二、棟方志功、阿部知二、戸川秋骨、石井桃子など多くの文豪や芸術家が揃っていたのだ。
うーん、言ってはなんだがこの街は、新宿ほどビックでもない、高円寺のようなロックさもない、便利で平和な街だ。それが、なぜ80年前は憧れるような場所だったのか。そして、今の荻窪になっていったのか。探りにいってきた。
高級住宅地が立ち並ぶ、気高さの南口
憧れの地であった大きな理由は、南口からのエリアにあった。
荻窪の南口には、北口にあるような大型ショッピングモールはない。すぐに南口仲通り商店街がでてきて、本屋や喫茶店、飲食店が小さく並んでいる。北口に比べて大人しいが、静かで落ち着いていて、年齢層も高めだ。てくてく歩いていると、商店街が終わり、すぐに住宅街に入っていく。多くは一軒家。それも70坪あるくらいの、大きな家が並ぶ。そう、この南口仲通り商店街を過ぎた先が、与謝野晶子・与謝野鉄幹が居を構えた場所なのだ。彼らが住み始めてから多くの著名人を魅了することになり、お金持ちが別荘をもち、高級住宅街になっていったのだ。
「荻窪」という地名には昔からステータスがあり、ここに住んでいる人は誇りをもっていたらしい。
そんなハイソサエティな雰囲気がひろがる南口には、最大級のハイソ空間がある。太田黒公園だ。
大田黒公園は、音楽評論家である太田黒元氏屋敷跡を杉並区が日本庭園として整備、昭和56年10月1日に開園したものだ(太田黒公園パンフレットより)。無料で入場することができる。入り口の門をぬけると、イチョウ並木やケヤキ、アカマツなど木々が並び、そしてその高さに驚く。周りの建物や遠くのビルが見えなくなり、東京の23区とは思えない静けさがひろがる。
中を散歩すると、こんな広大な土地に家を持っていたなんて想像ができない。まるで江戸時代の殿様くらいの気分。大田黒元雄氏は、ここでどんな音楽を聴き、奏でたのであろうか。
中央線出身の当編集長によると、南口は道や店など変化はしているが、全体の雰囲気はほとんど変わらないという。大きなビルもマンションもなく、広い空と緑豊かな住宅街は歩いていて心地よい。いつかは荻窪に家がほしい……そんな先人たちの気持ちに共感できた。
素敵な南口エリア。でも、ここだけでは荻窪がなんたるかはっきりしなかった私は、その答えを北口に探しに行った。