2017.06.05
皆様お馴染み、まあるい緑の山手線とまんなか通る中央線が交わる、言わずと知れたビッグターミナル<新宿駅>。東京駅から中央線快速で14分、総武線、中央本線、埼京線、湘南新宿ライン、丸ノ内線、大江戸線、新宿線、京王線、小田急線と数多くの路線が乗り入れるこの駅は、徒歩圏内の西武新宿線や新宿三丁目駅、都庁前駅も含めると、さらに巨大。街を繋ぐため張り巡らされている連絡通路や地下道は、迷路そのものだ。
10年程前、私はド田舎から上京したのだが、野山で培った抜群の方向感覚と文明の利器さえあれば、都会もちょろいもんだと思い込んでいた。そう、『新宿ダンジョン』に迷い込むまでは…。
当時 Google Map こそなかったが、携帯電話を使おうとも、なかなか人と落ち合うことができずに疲れ果てた経験は、今でも忘れられない。私のように、都会の洗礼を受けた者たちは、この駅を『新宿ダンジョン』と呼ぶ。新宿に迷い込んだ沖縄出身のゲームクリエーター・上原氏が制作したRPG『新宿ダンジョン』のヒットから、その呼び名は広まったようだ。新宿駅は、不用意に歩き回れば、遠回りはもちろん、この迷宮から抜け出せず精根尽き果てる。利用者数日本一・1日364万人という行き交う人の量も、それを助長しているのだろう。ガラケーの時代、この足で経験値を重ねた私より(ゲームアプリ『新宿ダンジョン』がリリースされたのは2015年1月と最近)、このリアルRPGをクリアしていない皆様へ向け、攻略の秘訣をお届けしたい。
[Prologue]
新宿駅がダンジョン化したのはなぜ?
新宿駅が開業したのは1885年、物資運搬のため日本鉄道が南北を繋いだ路線(現在の山手線の前身)の駅のひとつとして開設された。元々新宿という街は、江戸徳川の時代に甲州街道沿いの宿場として拠点化したことからはじまり、商業の中心として発展した場所だ。しかしその宿場町は新宿駅周辺ではなく、「新宿追分」と呼ばれる、現在伊勢丹のある新宿三丁目交差点付近。新宿駅は当初、賑やかな街から少し離れた、畑の広がる土地につくられたようだ。
1906年 甲州口(現南口)に駅舎を建設。(新宿歴史博物館より)
1900年代には乗客数も増え始め、徐々に駅前も栄えてきた頃に起こった、1923年の関東大震災。壊滅的被害のあった下町から、山手郊外新宿駅西側の沿線に住む人が増えた影響で、新宿駅の利用者数はさらに増加、1925年には洒落た駅舎となり、現在の新宿駅周辺が中心となり栄え出した。小田急も1927年には現在の場所へ駅を開業、元は新宿追分にあった京王線も、1945年の東京大空襲により現在の場所へと移動し、1960年代には小田急・京王共にデパート一体型の駅舎となった。
1955年 新宿西口方面 (新宿歴史博物館より)
1959年 地下鉄丸ノ内線の発車式にて 岸元首相テープカット (新宿歴史博物館より)
ダンジョン化した始まりは、1959年に丸ノ内線と共に開通した「メトロプロムナード」。丸ノ内線沿いに新宿通りの地下道を作ったことで、新宿追分方面へ向かう人の分散を図れたこの地下道を皮切りに、1966年代には、西口交通立体広場ができ、地下の商業空間が広がった。この広場を手掛けたのはル・コルビュジェの日本人弟子のひとり坂倉準三、地下に居るにも関わらず光が通るあの空間は現在でも評価されるが、ダンジョン感を助長しているとも言えるだろう(失礼)。
このように、歴史と駅の発展と共に商業施設が乱立したこともあり、新宿駅はダンジョン化を強めていったのだが、根本にあるのは、新宿駅の地形学的要素。新宿駅周辺は勾配や谷地などが多くあり、それに沿って道や建物がつくられたため、ここが地下なのか地上なのかがわからなくなるのだ。さてさて、『新宿ダンジョン』の歴史がわかったところで、次ページでは攻略の秘訣をお伝えしたい。