2017.06.29
生活に便利な多摩地区の中核都市
東京都のほぼ中央に位置し、ピストルに似た形をする多摩地区の中核都市、立川。ここ数年、駅周辺を中心に開発が進み、この街で生まれ育った私から見ても、目まぐるしいスピードで発展を遂げている。
この立川駅、1日平均利用者数が約16万人にも及び、新宿、東京に続き中央線の中でも第3位という素晴らしい数字を叩き出しているのだが、それもそのはず、この物語の主役である中央線をはじめ、青梅線の始発駅、南武線の始発駅としてだけではなく、南北に走る多摩都市モノレールの存在も大きいからであろう。
人気が出てきている理由とは!?
中央特別快速、通称“特快” という飛び道具を使えば、新宿まで27分、終点の東京までは41分という利便性の良さに加え、3つの駅ビルやご当地デパートのフロム中武をはじめとした多くの商業施設、そして豊かな自然が美しい国営昭和記念公園の存在と、立川ですべてを完結できるのが、生意気にも住みたい街ランキングなどに近年顔を出すようになった大きな要因と考えられる。そんな優等生さを感じさせる立川なのだが、長年住み慣れている私からすると、頑張っているけど下手くそな動線の引き方などから感じる、都会に憧れているけど抜け切らない鈍臭さが愛すべき理由であったりもするのだ。もちろんこれは、あくまでも個人的な意見なので異論のある方はご容赦ください(笑)。
インパクトのあるキャッチコピーが毎シーズン楽しみなご当地デパート“フロム中武”(続短断長=過不足なく物事を整えること、という意味である。)
さてここからはちょっと視点を変え、立川生まれ立川育ちの市議会議員、中町聡氏に登場してもらい、氏から見たこの街についてお話を少し伺って見ようと思う。が、しかし…いきなり縄文時代あたりまで歴史を遡り話し始めたので、一抹の不安を覚えたが、とにかく最後まで話を聞いてみようと覚悟を決めた。
「ちょっと自分なりに調べてみたのですが、今でも玉川上水(砂川町周辺側)と多摩川(駅周辺)が立川の両端に流れていますよね。昔は玉川上水ではありませんでしたが、その二つの川を起点に縄文時代あたりから大きく分けて二つの民族の存在がありました。このふたつの川沿いに住んでいた民族が、後の砂川の商店、駅周辺の商店の方々の起源なのじゃないかなという仮説に辿りつきました。なぜかというのは議員になってから感じたのですが、彼らと話をしていると両者のキャラの違いを感じるようになったからです。わかりやすく言うと、立川の南に位置する中央線が生活圏内の人たちは、ちょっとだけ早口だったり、いそいそと忙しい面を持ち合わせていて、北に位置する砂川町方面の人たちは、農耕系なのかおっとりしている性格の方が多いと感じています」。
なるほど、立川に長年住んでいる私から見ても分かる気がする。ちょっと興味深くなってきたので、もう少し聞いてみよう。