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ファッション誌勤務、ストレスで激太り
今から約10年前。大学を卒業して間もない私は某外資系出版社のファッション誌の広告営業をしていた。
クライアントであるラグジュアリーブランドの主催する展示会やパーティーに出席し、上司にくっついて関係者たちと一流ホテルのラウンジでランチミーティング。世界各国の有名ブランドが手がけるファッション・ショー(ランウェイの最後にはデザイナーご本人が登場)を目の当たりにし、そのきらびやかすぎる世界にわくわくする反面、浮き足立ってもいた。学生時代、インドやタイなどへバックパックひとつで貧乏旅行するのが趣味だった私は、その貴族社会的(実際に皇族の系統者が同じ部署にいたりした)な業界で、久しぶりの新卒(※1)だということを差し引いても異端児だったに違いない。若さだけでは言い訳にならないのだが、シミのついたシャツもそのまま平気で着ていたし、ヒールの靴は歩きづらく、社内を裸足で歩き回っていたのである。
担当雑誌の編集長は私を見るなりつま先から頭のてっぺんまで舐めるようにして値踏みしたが、その冷ややかな視線は「失格」と語っていた。さすがにビビった私はたびたび早朝、誰もいない編集部に潜入し、一流ブランドから送られてくるサンプルセールの案内をこっそりコピーし、せっせと戦闘服を買い揃えに敵地に赴いたものだ。そうして、半人前にも満たない小娘がもらうには十分過ぎる金額だった月給の半分は、それらに消えていった。
さて、広告営業担当である私の大事な役割に、編集長や編集スタッフをクライアントの展示会やパーティーに連れていくことがある。同僚をただパーティーに連れていくのだからなんてことのない業務に思えるが、当時下っ端は下っ端、20歳そこそこの私が、世界を股にかけるファッション誌日本版の編集長をアテンドするのである。まずスケジュールを合わせるのも一苦労。編集長のスケジュールを押さえるには、クライアントとの打ち合わせや社内会議で忙しい彼女がつかの間編集部のデスクに戻ってくるタイミングを逃してはならない。おおよその帰社予定時刻を見計らって、別フロアにある編集部の扉の前を張り込み刑事のようにうろうろしたものだ。そうして編集長や編集スタッフのスケジュールを確保し、SS、AW(※2)のハイシーズンには一日に10を超える数のクライアントを訪問し、編集長のバッグと行くたびにもらえるお土産(※3)を両手に、人力車のように駆けずり回った(実際はタクシーを使用) 。中学・高校と運動部で鍛えられていた。体力的にきつかったわけではない。あらゆる場面で堂々と振る舞えばよかったのだが、強烈な女性社会と独特のブルジョア感に圧倒されてしまい、毎秒緊張しまくり体はガチガチ&頭はくらくら(バファリンを常用)だった。そのストレスからか暴飲、暴食に走った。関係者との会食や友人と高級店で飲み食いした後、自宅に帰る途中のコンビニで大量にスイーツを買い込み食べ荒らし、日中もいつもお腹が空いていて、仕事の合間に間食ばかりしていた(会社に高級スイーツ店のお菓子が常備されているんだもの!)。そうして一年も経つころには体重は10kg近く増えていた。
インディーズ音楽レーベルに転職、第二の青春
ファンだったアーティストのmixiコミュから繋がったプロデューサーと仲良くなり、その紹介で運よく憧れだった音楽の世界に入ることができた。担当したのは、当時大ヒットしたJazzy Hip Hopレーベルのプロモーションと、レコードショップへの営業。会社は総合エンタテイメント企業でかなりの規模だが、音楽事業部はエモ(※4)をベースにパンク、ポストロック、ジャジーヒップホップのレーベルを運営し、国内外のインディーズアーティストの作品をリリースしている部署だった。スタッフはほぼ全員がバンドTシャツ×Gパン×(コンバース)スニーカーというスタイル。クラブミュージックが好きでヨコノリ系(※5)のジャンルをメインに聴いていた私には未知の領域だったが、そこはまさ“ロック”な男たちの世界だった。こうして始まった私の音楽業界での仕事は、レコードショップへ新譜の案内へ行き、髭面でロンゲ(が多い)のバイヤーたちから彼らの音楽談を拝聴。プロモに訪問したクラブ系の音楽専門誌では最近行ったイベントで来日したアーティストのリッチー(※6)はやばい(すごい)とか、誰のライブはやばい(ひどい)など批評し合う。渋谷や下北沢の地下にあるライブハウスで行われれるイベントに出動し、担当アーティストのCDを物販エリアで売る。たいして音楽の知識のない私が役に立っていたかはわからないが、毎日が文化祭の前日のような気分だった。
日々音楽好きな人たちと音楽ばかり聞き、音楽の話をして過ごすことで満たされ自然と食欲がなくなり、食べることへの興味が失せていった。ファッションスタイルもサテン素材のブラウスからコットンTシャツに、スカートからパンツに、ハイヒールからスニーカーに変貌し、高級ブランドの服を買う必要がなくなった。週末は自社アーティストのライブか目当ての音楽イベントに出動するのだが、何かしらつてをたどり優待枠(※7)で入場できたので、自腹でクラブに行っていたときよりも大幅に娯楽費を節約できた。月給は前職の3分の1ほどに減っていたのだが、消費をかなり抑えられていたので手元に残る金額は、むしろ多かったくらいである。
結局のところ、本当にコスパのよい人生とは、お金と時間や自分の大切なことを、自分にとって一番心地よいバランスで味わうことなのではないか。いくらたくさんお金を稼いでいてもそれによるストレスで消費するものも大きければ意味がないし、少ない給料でも生活に満足していれば消耗せず、心身共に健康でいられる。
昨今人間らしく生きることが求められ始め、「デジタルデトックス」が流行りはじめている。消費することよりも、感じること、自然と調和することが心身共に充実した日々を過ごすには重要だと気づく人も増えたのではないか。すぐに実践は難しいかもしれないが、まずは近場の公園を散歩したりヨガをしてみたりして自分の心の声を聞いてみるのもいいかもしれない。
注意:あくまで個人の体験談なので、必ずしも出版(ファッション)業界にいると太る、音楽業界にいるとやせるというわけではありません。
※1 当時就職氷河期の終盤で、数年連続で新卒採用を見送っている出版社もあった。
※2 SS=Spring&Summer 、AW=Autumn&Winter の略。ファッション業界では春夏コレクション、秋冬コレクション(ショー)を指す。
※3 お土産…プレス関係者に渡されるブランドの新商品など
※4 エモ(Emo)…ロックのジャンルの形態のひとつ。エモーショナルな音楽。
※5 ヨコノリ系…体が自然とヨコに揺れるリズムの音楽。ざっくりとタテノリはロック系、ヨコノリはダンスミュージック系とされる。
※6リッチー…Richie Hawtin(リッチー・ホウティン)。イギリスのテクノミュージシャン/DJ。親日家で日本の大型フェス、クラブイベントでも頻繁にプレイしている。
※7 優待枠…関係者に招待したり割引きで入場できるよう用意された席のこと。