2016.08.14
草食系、肉食系、猛禽系、はたまた草食と見せかけてのロールキャベツ系など、若い世代を中心に恋愛の捉え方が、良くも悪くも多様化されているこの頃。そもそも恋愛とは、きっとシンプルであるべきで、成就しようがしまいが自分の気持ちに真っ直ぐ正直に向き合うものではないのだろうか。そこで、足元の固まらない昨今の東京恋愛事情の変化を、TOKYOWISEらしく斜め上から分析し、ちょっとだけ紐解いてみようと思う。
とは言うもの、〇〇系と言われる男女の比率より、シンプルに恋愛を楽しんでいる人の方がまだまだ多い筈。それなら、恋愛の何が変化してきたのだろうかとまず考えてみる。
例えばデートの待ち合わせ方。
このご時世、デートという言葉を使うのも小っ恥ずかしいのだが、恐らく以前は待ち合わせ場所を決め、そこで合流し、これから向かう場所までの時間も楽しみながら二人の距離を縮めていったものではないだろうか。しかし、スマートフォンという便利グッズの出現以降、食事デートなどは、食べログなどの情報をLINEで送り、現地集合という形をとるカップルが物凄く増えたと思う。いや、実際にそうらしい。ただの飲み会や友達同士ならこの方法は正攻法だろうが、これから恋愛に発展するであろう二人の行動としては、ちょっと味気ないとTOKYOWISE世代の私は思ってしまうのだ。
特に、こういうデートの流れを組む男は(あえてキツく言わせてもらう)、一体女性に対して何を求めているのだろうかと疑問を抱く。一瞬一秒でもその人との時間を共有したいと思わないのだろうか。7時の予約に、10分前に待ち合わせたら、その分好きな人と時を過ごせるではないか。単純な足し算だ。こういう考え方の積み重ねが、人生にとっても大事だと思う。合理的で無駄のない感じに賛成できる部分もあるのだが、その無駄も楽しむ余裕が、テクノロジーの発展とともに薄れてきていることは間違いないのでは。知ってるかな、無駄を別な言葉に置き換えると“得”って言うんだよ。
曖昧=心地いい それってどうなの?
この“曖昧=心地いい”って感覚を理解するのには、いつも悩まされる。恋愛下手や、興味がないようなことを言うくせに、“友達以上、恋人未満”のような、お互いの責任が生じない関係を望む人達っていますよね。でもそれって、言葉には置き換えていないだけで結局恋人でしょ?って思ってしまうのは私だけだろうか?本当に恋愛に興味がないのであれば、恋人未満って言葉は不要なはず。それでいて友達以上って訳分からん。さらに言ってしまうと、そんなことを言いながらも、そのような立場の人を何人かキープしているのって、それこそ不純だわ!と感じてしまう。
こういった状況は、それこそ日本特有の一過性のブームであって欲しいと心底願う。このままでは、恋愛からしか学ぶことのできない、強烈な喜怒哀楽を知らずに人生をただ過ごしてしまう人が確実に増えていく。それってダメでしょ。結局男なんてのはね、失敗を重ね、大きい痛みを味わうほど厚みが増してく生き物なのだから、もっと貪欲に攻めようよ!と声を大にして伝えたい。傷つけ傷つけられる覚悟は、人生に必要な要素なのだから。
もはや番外編としか考えられない
ここ最近の、様々な人種や関係の極め付けだと感じているのが、最近耳にする“キス友”なる新手な形態。う〜ん、これに関してはもうこの関係を成立させられる方々じゃないと、理解できないと思っています。きっと向こう側もそう思っているはずで。何を言われても、絶対に自分にはない関係として話を進めてしまうだろうから、納得する要素が見つからないのです。
取材するにも自分を取り巻く人の中には、キス友を持っている人は見つけ出せず。それなら若い世代だと思い、現役女子高生の親戚の娘に探してもらったが、やはり見つからなかった。本当にこの関係って存在するのかな?メディアが作り出した都市伝説なんじゃないかと勘繰り始めている私(笑)。むしろ、そうあって欲しい思ってたりして。
詰まるところ、恋愛方法は変わりつつあるのかもしれないが、LGBTが受け入れられたように、様々な恋愛の形の窓口は広がっている事実もあるわけで。結局、時代がかった恋愛節を話してしまう私のような人種が、実はその恋愛システムから外れていっているのかもしれないと、この原稿を書きながら感じていた。でもやっぱり、シンプルでまっすぐな恋愛はいいものだよと私は言い続けたい。