2016.06.30
はじめて東京でエスカレーターに乗った時、上を行く人々の姿に驚いた。地方と比べて痩せている率が圧倒的に高いのだ。特に表参道エリアなど、小ジャレた服を着こなす人、人、人。子連れのママでさえ、チュニック姿などおよそ見かけたことがない。田舎丸出しの私としては、同じエスカレーターに乗っているのが申し訳なくなったほど。地方暮らしに慣れていた私にとって、これには軽いショックを受けた。そして、今まで私が着ていた普段着は、もはや家着にしかならないと自覚したのだった。
オシャレとボディーはリンクする
“みんな痩せてる”、東京に引っ越して早々に私が引け目を感じた点はまさにここだった。ジーパンTシャツ姿ですらカッコよく見える東京人、いったい何がそうさせるのか。それは圧倒的なシルエット美。痩せているから何を着てもカッコよく、そしてオシャレに見えるのだ。私はといえば、明らかに場違いな人種。土偶体型とでもいおうか、太古の昔ならばあがめられたかもしれないが、今の時代とマッチしない。そして、子ども達の足も恐ろしく長い。これは地方でもボチボチ現れている現象だから東京特有という訳でもないようだ。どうやら、畳での生活が少なくなり、イスでの暮らしが増えたというのが原因らしい。子どもでさえもこんなにオシャレな着こなしをする東京。この街には、オシャレに対して鈍感な人さえも感化させる魔力があるのだ。
そういえば、若い頃、故郷を離れて東京で暮らす友人が地元に帰省した際に感じた「トウキョウオーラ」。東京にはそうさせる何かがある。肌のつや、ファッション、髪型、全てにおいて「トウキョウオーラ」を感じたあの頃を思い出した。そして今、私は「トウキョウオーラ」の光に常に包まれて生きている。自分の場違い感を払しょくすべく、眩しすぎる「トウキョウオーラ」に負けじと自分も背伸びしたくて、そそくさと服屋へ。服を選ぶも全然似合わずに沈没。やはり、ボディーに問題ありだ。何を着ても似合わない。思うシルエットにならない。オシャレをしようと思うと痩せた体型は必須なのだった。
私的東京人痩せ理論”3つの論考”
ではなぜ東京人は痩せているのか。地方出身者のルツボ東京で、私と同じように場違い感を覚えて痩せたい願望に火が付く率が高い説。これはあながち間違っていないだろう。周りに痩せている人が多い分、太っているのが目立つ。そして、太っていることが見苦しくさえ見えてくる。こうして「私はポッチャリ体型」などとカワイイ言葉でごまかしていた自分への甘さを、「やはり、私はデブだった」と自覚し直すのだ。デブとスマートの境界線をはっきりさせることで、痩せ願望がメラメラと燃えてくる。
次に考えられるのが、とにかくよく歩く説。公共交通網の発達している東京では、電車移動があたり前、そしてみんな一駅分くらいは余裕で歩く。一駅の距離が地方と比べて近いということもあるが、とにかくみんなよく歩く。歩いて10分の距離なら車で移動しようとする地方とは大違い。これくらいの距離ならば、東京人は余裕で闊歩してしまう。足早に忙しそうに歩くその姿さえもカッコイイと思ってしまうのは、まだ私が東京人になりきっていないからなのだろう。
そして最後にもう一つ、東京人はよく野菜を食べるらしい。20歳以上の女性の野菜の摂取率の県別調査では長野、島根についで第3位という結果になっていた。一日の平均摂取量は312gだそうだ。確かに東京人の友人とのランチでは、毎回よく野菜を食べている。きっと、そんなこんなで東京人は痩せていくのだ。
産めよ、増やせよの時代、日本でも「ぼっちゃり」が美人の証という時代があったのだが、もう、今の日本ではそれは望めないだろう。あぁ、やはり、服をかっこよく着こなしたい。「トウキョウオーラ」をまとうべく今年こそ、ダイエットを成功させるぞと、エスカレーターで運ばれる細身の足を眺めて思うのだった。
ジョーキョーマダム
あるときは記者、あるときはブックライター、あるときは妻、あるときは母。中部地方、関西地方、アメリカの都会、九州地方と各地で生活した後に東京に漂着した文筆家。