2016.12.16
- ARTIST
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アーティスト自身による
自画絶賛 Vol.17
柳川荒士
“モード”という名のリングで闘う至高のファイター
ジョン ローレンス サリバン デザイナー
かつては、アトランタオリンピック代表候補にも選ばれた筋金入りのプロボクサー。その後、ファッションデザイナーに転身し、自身のブランド「ジョン ローレンス サリバン」を立ち上げ、瞬く間に世界的なデザイナーへと駆け上がっていった柳川荒士氏。ブランド創立14年目を迎えた今、彼は何を見つめ、何を考えているのか。これまでとこれからについて、お話をじっくり伺ってきた。
僕にとっての東京は、中目黒
「もうかれこれ20年くらい、仕事するのも、遊ぶのも、僕の生活のすべてはこの街です。事務所、直営店、自宅は徒歩圏内にあるし、車もバイクも乗らないから、原宿なんかに行くのもひと仕事(笑)。自分にとっての東京っていったら、もう中目黒しかないですね」
荒士氏にとって、中目黒とは“ホーム”であり“原点”。彼をインパイアする仲間たちも大勢いる。
「27歳までボクシングしか知らずに生きてきたので、こんなに面白い場所があるなんて、当初は衝撃でした。飲みに行ってもお店の人も帰れとは言わないし、昼まで飲むのもザラ。東京中のワルい大人たちが集結してたんじゃないかっていうくらい(笑)、毎日がエンドレスのお祭り騒ぎで、とにかく刺激的でしたね」
「オリンピックが夢でした。アジア予選で怪我などがあって、最終的には出場できず、あと4年待つのはさすがにつらいので、プロに転向しました。4年やったあと引退してすぐ、特に当てもなかったのですが一人でロンドン旅行に行きました。元々洋服好きだったんで、マーケットに出かけて、テーラードジャケットとか革ジャンとか、ファイトマネーを全部使い切るくらいの勢いで、好きな洋服をたくさん買ってきたんです。が、全部着るわけじゃないし、お金も使い切っていたので、どうしようかと考えていたら“着ないなら、ココで売れば?”と中目黒でアンティークの家具屋を営む友人が言ってくれて。それがすべての始まりでした」
小学校5年生の時に、生まれ故郷の広島でボクシングを習い始め、高校時代にインターハイと国体優勝、大学時代には全日本選手権優勝。アトランタオリンピック代表候補にも選ばれるなど、プロボクサーとして才能を発揮し続けたが、27歳で引退を決めた。
体当たりの独学で、『世界の柳川荒士』へ
「ハンガーラック2本に洋服を並べて、その横でお客さんが来るのを待つという、ロンドンのマーケットスタイルで、2年ほど販売を経験しました。ラッキーなことに、売れたんですね。その後、じゃあ今度は作ってみようと。ブリックレ―ン(ロンドンのイーストエンドにある街)の革ジャン工場に頼んで、赤い革ジャンを20着くらい作ったら、また売れて。これが僕にとって、最初の物づくりでした」
「アイデアは色々あるし、ジャケットとか他のアイテムも作ってみたいなと思って、ファッション業界で働く知人や友人を訪ね歩きました。作りたい洋服のイメージに近い古着を片手に、“こういうものが作りたいんだけど、どうすればいい?”とひたすら彼らに教わりながら、学んでいきました。綾織り、平織りと言われても、何のことだかさっぱり分からない。最初は、自分の感覚だけが頼りでした」
自分が納得できるものが作れるまで、一切の妥協はしない。ファッションに関して余計な基礎知識がなかったからこそ、自由な発想が生まれ、それを体当たりの独学を積んでいくことで、ファッションデザイナーとして、ダイナミックかつ着実な成功の階段を昇りつめていく。彼のバックグラウンドにあるのは中目黒という街と、そこに集まる“人”だったのだ。
そして、ついに03/04AWシーズンに、ボクシング初代ヘビー級チャンピオンの名を冠したブランド「ジョン ローレンス サリバン」がスタート。2008年にはパリで展示会を行い、2011年1月にはパリコレ・デビュー。今日にわたって、日本を代表するブランドのひとつとして不動の地位を確立している。
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