2014.06.30
世界中、多くの国で愛されているサンドウィッチ。フランスのバゲットサンド、イタリアのパニーニサンド、トルコのドネルケバブなど、その街のサンドウィッチを食べれば、その街の食文化を知ることができる、万国共通の料理といえるかもしれない。
では、世界有数のグルマンが集う街、東京の定番サンドウィッチとは……? 今回は、東京の洋食文化の夜明けとともに生まれた、東京らしいサンドウィッチをご紹介しよう。
フルーツサンドの誘惑
東京的サンドウィッチとして、最初に名を挙げたいのがフルーツサンド。コンビニでも見かけるほど日本ではポピュラーなサンドだが、実は、食パンに甘いフルーツや生クリームを挟むというのは日本独自の文化だという。そんなフルーツサンドの草分け的存在であり、頂点を極めているのが千疋屋。
千疋屋は江戸から続く超老舗果物店で、日本橋の総本店に始まり、明治の頃に京橋と銀座に暖簾分けされ、優に100年を超える歴史を積み重ねてきた。現在ではどの千疋屋でも定番メニューとして提供されているフルーツサンドのなかでも、「フルーツパーラー」という名を世界で初めて使った銀座千疋屋のその味は格別だ。
明治27年に暖簾分けを認められ、贈答品を主に扱うフルーツ専門店を創業した銀座千疋屋。その後、大正2年、果物売り場の2階にフルーツパーラーを開業するとたちまち話題となり、当時希少だった外国産のフルーツを使ったスイーツは、文豪や政治家をはじめ、多くの紳士・淑女の舌を唸らせてきた。なかでも、開業から100年が経とうとしている現在も、変わらぬ人気を博しているのがフルーツサンド。「果物の美味しさを存分に味わっていただくために、代々伝わるレシピ集があります。ただし、生クリームなどは時代によって材料の味が変わってきているので、数種類をブレンドして変わらない味に仕上げています」と語るのは銀座千疋屋・パーラー事業部副部長の島田聡さん。
銀座千疋屋のフルーツサンドの一番の特徴といえば“リンゴ”。サクサクとしたリンゴの食感とほのかな酸味に、イチゴやメロン、黄桃の香り高い果汁がじゅわっと溢れ出す。また、これらをつなぐあっさり系の生クリームは、絶妙な量に抑えられているせいか、あとをひく黄金バランスがそこにはある。素材の持ち味を極限まで引き出すその繊細な仕事には、洗練された食文化をもつ日本人の粋を感じずにはいられない逸品だ。
かつサンドの満腹
そんな銀座を中心に発展を遂げていた洋食文化の中でも、特に大衆人気が高かったカツレツ。それをかつサンドとして最初に売り出したのが、昭和5年創業の上野でも指折りの老舗とんかつ店、井泉だ。
当時花街であった下谷同朋町の一角で、“お座敷洋食”の店として開業した。「かつて、店内のお座敷では芸者さんをあげる旦那衆や、長唄や荻江のお稽古などもみられたそうです。そんなご贔屓にしてくださる芸者衆が、口紅を落とさず召し上がりやすいようにと、昭和10年頃に祖母が考えたのがかつサンドの始まりです」と語るのは、三代目の女将で創業者の孫にあたる石坂桃子さん。「明治生まれの祖母はいつも着物に結い髪で日本的な趣味の人でしたが、新聞記者の家庭に育ったせいか、とってもハイカラな面もあったんです。娘時代から資生堂パーラーに通ったり、朝はトーストに紅茶と決まっていました。そんな祖母だからこそ、かつサンドは試行錯誤したのではなく“ひょい”っと思いついたものだったと聞いています」。井泉のとんかつは創業以来“お箸で切れるとんかつ”と評されるほど柔らかく、これを生み出す丹念な筋切り、肉を叩く技術は代々受け継がれたもの。この柔らかくサックリと揚げられたかつに、甘さ控えめのソース、バターの香り豊かなパンが、口の中で絶妙なコントラストを生み出す井泉のかつサンド。いにしえの旦那衆や芸者たちが愛したその大人な味わいは、いまもなお健在だ。
しかしひとつ疑問が浮かぶのは、かつサンドを語る上で外せない人気店、まい泉との類似性。勇気を出して女将さんに聞いてみると、そこには意外な真実が……。「まい泉創業者の小出千代子さんは、以前うちの洗い場で4か月ほど働ていた方です。その後、うちの調理人を連れて日比谷で井泉というお店をお出しになったんです。もちろん暖簾はお分けしていないので、話し合いの末、日比谷の一軒だけに名前を使用することを許しました。その後、新たに出店される際に現在のまい泉という屋号に変えられました」と、江戸っ子らしいさっぱりした気風で、すべての経緯を語ってくれた女将。これ以上の話は割愛させていただくが、かつサンドをめぐる人間ドラマの一端を、垣間見たような気がした。
玉子サンドの復活
家庭で作るサンドウィッチの定番といえば、ゆで卵を刻んでマヨネーズで和えた玉子サンド。しかし、この常識を心地よく覆してくれる、ふわっふわのオムレツを挟んだ玉子サンドが評判の、はまの屋パーラーをご存じだろうか。
はまの屋パーラーの創業は昭和41年。数あるメニューの中でも玉子サンドゥイッチは遠方から訪れるファンもいたという名物商品だったが、店主が高齢となったため、惜しまれながら45年の歴史に幕を閉じた。
しかし、その話を聞いて立ち上がったのが、銀座でロイヤルクリスタル・カフェなどの飲食店を営む株式会社バードフェザー・ノブの代表・鳥羽伸博さん。かつてこの店を訪れたこともあった鳥羽さんは、その味とレトロな純喫茶の雰囲気に惚れ込み、先代の店主へ暖簾を引き継ぐことを直談判したという。
こうして新たなスタートが決まったはまの屋パーラーは、昭和が香る内外観やソファはそのままに、さらに卓上占い機やレコードなどのレトロなアイテムを持ち込んだ。肝心のレシピは、先代の直接指導のもと、店長の塩釜紘さんを筆頭にトレーニングを重ね、閉店の翌年となる平成24年2月に晴れて再オープンを果たした。「暖簾を引き継ぐ上で、一番苦労したのは、やはり人気商品玉子サンドゥイッチの作り方です。数えきれないほど何度となく玉子を焼きましたが、先代の技術を取得するのは簡単ではありませんでした」と語る塩釜さん。はまの屋パーラーの玉子サンドゥイッチは、半熟ギリギリで、ふわっふわの食感が命。しかも、テイクアウトにも対応するため、冷めてもその食感を損なわず、一人前につき玉子を4個も使用しながらパンの四隅にきっちり収まるサイズに仕上げなければならないという、数々のハードルがある。「開店当初は長年の常連の方から厳しい声を頂いたことも多々ありました。でも、そのお客様は今でもお店に通ってくださっています。玉子を焼き初めて2年半が経ちましたが、徐々にではありますがお客様に認めて頂けるようになり、改めて先代の偉大さに気づかされます」
新しいもの、一風変わったものが大好きな江戸っ子のDNAが生み出した食文化が、月日とともに失われつつある今。粋と歴史がはさまれた東京的サンドウィッチを一口ほおばって、古き良き東京に妄想旅をしてみませんか?