2014.12.26
- tokyoPop
episode#00
イントロダクション~パラレルワールドとしてのTOKYO感覚
東京には二つの表情がある。一つは「東京」であり、そこで何気なく生まれ育った人々が感じる日常生活空間としての場所。そしてもう一つは、何か異様なパワーが渦巻いているメディアとしての「TOKYO」。まるでオシャレに目覚めた女の子のスッピンとメイク顔の違いの関係にも似ている。こうした傾向は都市化が謳われた1980年代後半、いわゆるバブル経済を背景に大資本投下がなされた時代以降により強くなった。
日本全国から多くの人々が圧倒的な憧れと夢を抱いて移り住んで来る街。世界中からのあらゆる情報や流行を一極集中させようとする街。特に都心と呼ばれるエリアが醸し出す洗練と欲望が溶け合ったムードには、「東京」とはかけ離れた異次元の光景を見ることができる。東京に住んでいる者なら誰もが知っている。「TOKYO」とはつまり、エントランスフリーの同時並行世界(パラレルワールド)だ。
五感をフル活用させなければ、「TOKYO」を謳歌することはできない。地方から上京した者にとって、「TOKYO」は数年間に渡って眩いほどの輝きを放ってくれる。そこにはすべてを叶えてくれる何かがある。そう信じて若く野心を持った者たちは、「TOKYO」を“約束の地”にして自分自身を超えようと躍起になる。それが集団化したり、一つのベクトルが定まった時に、街の空気と化した大きなうねり=ムーヴメントが生まれる。
「東京」の視点からは、それは芝居じみたパフォーマンスのように映ってしまうかもしれない。一方でその気になれば役になりきって「TOKYO」にいつでも入り込むこともできる。こんな行為に対して疲労感や嫌悪感を覚える人もいるだろう。でもそうした思い入れのない症状は、大人になった証であり、東京人としての精神を立派に確立したことを意味する。ただし代償として、魅惑のパラレルワールドへのパスポートは永久に失効する。
「ポップカルチャー」の定義は、雑誌やTVといったメディア、音楽や映画といったエンターテインメント、流行やファッション、スポットやヒット商品のほか、サブカルチャーやネットカルチャーまでを含む。そして何よりも大切なのは、「TOKYO」という街/ストリートを舞台に心象を描いてきた各時代に生きた若い世代の動向を捉えることにある。若者文化を語ることによって「ポップカルチャー」の本質が見えてくる。物語になる。
時代は決して十年単位で区切れない。それまでの「TOKYO」における若者文化の多くは、主に大学生が主導権を握ってきた。60年代後半のカウンターカルチャーや学生運動は大学が発信と交流の場であったし、70年代半ばの女性ファッションや80年代前半のクリスタル族も女子大生が主役だった。しかし1980年代半ばから、より若い世代である高校生が「TOKYO」を謳歌し始める。それは90年代後半になって街文化の完成形を描くまでに至る。
また、80年代後半~90年代前半には、20代男女によって史上最もリッチな青春模様が描かれたり、その後はバブルが亡霊のように漂う数年間を過ごしたりもした。2000年代以降になると、「TOKYO」は新たに出現した「ネット」というもう一つのパラレルワールドとの行き来も整備するようになった。そして、もはや男たちが主導権を握ることはなくなって、“女子”の名のもとに小学生から主婦までが一括りにされるような世界観も出てきた。
『Tokyo Pop Culture Graffiti』は、「TOKYO」を舞台に描かれた時代と世代の30年に渡る物語を綴っていく。歴史を振り返ろうとする時、そこには様々な出来事があったことに気づく。これを読まれている方の年齢層は幅広いと思うが、きっとどこかに“あの頃の自分”を見つけることになるだろう──世代は時代に握られた一つの夢であり、それはいつだって「TOKYO」を舞台に語られてきた。ようこそ、TOKYOパラレルワールドへ。
(episode#01 へ続く)
- 中野充浩
文筆家/編集者/脚本家/プロデューサー。学生時代より小説・エッセイ・コラムなどを雑誌で執筆。出版社に勤務後、現在は企画プロデュースチーム/コンテンツファクトリーを準備中。著書に『デスペラード』(1995年)、『バブル80’sという時代』(1997年)、『うたのチカラ』(2014年)など。「TAP the POP」で音楽と映画に関するコラムも連載中。