Tokyo Pop Culture Graffiti

2015.09.10

tokyoPop
pop_vol08

episode#08
女子高生とコギャルが歩んだ90年代~TOKYOポップカルチャーの到達点

バブル80’sでリッチな青春を過ごした世代が湾岸の大型ディスコで「最後のパーティ」に明け暮れていた1991~1994年、TOKYOの若者社会ではひっそりと地殻変動が起きていた。

“高校生の半分”である彼女たちは、女たちのアカデミーアワードの常連だった女子大生やOLを蹴落とすだけでなく、高校生の主役の座も男子から奪い取り、同時に若者社会の主導権を「女子高生」として握ってしまう。

「幻影の時代」(1991~1994年)で20代の社会人が過ぎ去った時代の退廃に溺れ、OLが減額したボーナス、女子大生が就職難というバブルの代償(ツケ)に嘆き、チームの少年たちが新聞沙汰やトラブルに巻き込まれていた頃、「女子高生」だけは確実に進んでいた新しい時代と向き合い、自分たちの世界観を凄まじい勢いでTOKYOに描き始めた。

「女子高生」は何も突発的に生まれたのではない。例えば1988年~89年は、制服のモデルチェンジ(*1)がSI(スクール・アイデンティティ)のもとに都内の多くの女子校で実施。従来の古臭いイメージのセーラー服から、タータンチェック柄スカートやブレザーへと装いが変わる。彼女たちにとって制服とは=毎日着ていく洋服に他ならず、学校側が生徒数や人気確保のために「女子高生」のニーズを取り入れた結果と言えた。

また、高校生と言えば「アメカジ・渋カジ・キレカジ」といった男女共有カジュアルファッションがお決まりだったが、1991年~92年には「パラギャル」(*2)というファッションが浸透。これは「女子高生」が男子を切り離して自ら作り出した記念すべき最初のスタイルだった。

こうした過程で「女子高生」は形成されていくが、それまで高校生文化を主導してきた男子高校生の“最後の創造物”が皮肉にも彼女たちだったという見方もできる。特にパーティ券をさばく際の売り文句「カワイイ子が来る」、そんな女の子にチケットを売ってもらう手段などは、高校生という一つの集合体を分離させるのに十分だった。要するに彼女たちは気づいてしまったのだ。

何もかもあっという間の出来事だった。その最大の要因は、本人たちに「私は女子高生」という意識が強くあったこと。放課後の渋谷に集まる高感度な彼女たちは、自分たちに十分な商品価値があることを知っていた。

彼女たちには学校のクラスメイトや先輩後輩、都心の他校の友達や地元の小中時代の友達、バイト仲間や塾や予備校の知り合いなど、1日で接触して会話する人数がとにかく多い。クチコミ(*3)が3年間期間限定のプレミアのような高校生活の中で、魔法のような力を持つのは必然だった。

さらに、マイナーなモノやカルチャーを自分たちの領域に取り込んでいくような、80年代には許されなかった若者社会の「ボーダーレス感覚」、既存のものを自分たち好みに変えていくDJ のような「リミックス感覚」、メディアの情報や芸能人(*4)よりも街にいる同世代に信頼と憧憬を寄せる「ネイバーフッド感覚」、欧米のエンタメやカルチャー(*5)を後追いするのではなく、同時進行の動きとして捉える「リアルタイム感覚」、そして何よりも自己表現や美容意識に長けた「セルフプロデュース感覚」を持ち合わせていた。

「これいい!」「面白い!」「カワイイ!」「カッコイイ!」「楽しい!」「使える!」「美味しい!」など、彼女たちの琴線に触れるものは世の中にどんどん知れ渡っていく。こうして都心の「女子高生」たちは、独自の流行や現象を“約束の地”である渋谷を舞台に次々と生み出していった。

>NEXT 女子高生たちの“完璧なティーンのライフスタイル”


(*1)制服のモデルチェンジ
1985年に刊行して毎年改訂された森伸之氏の『東京女子高制服図鑑』に詳しい。

(*2)パラギャル
パラダイスギャルの略。当初は「LA」「エルカジ」などと呼ばれた。文字通りアメリカ西海岸スタイルだったが、次第に夜遊び着としてのボディコン/リゾートテイストが加えられ、その名になった。アルバローザのハイビスカス柄のフレアミニスカート、シープスキンブーツ、LAギアのスニーカー、ウエスタンブーツ、エスプリやゲスのバッグなどがお約束アイテム。

(*3)クチコミ
渋谷/都心→東京→関東→全国といった法則(Aという流行が関東に浸透するかしない頃、すでにBという新しい流行が都心では起きている)。1989年に設立されたティーンマーティングの草分けである株式会社シップの松並卓郎代表は「現在のソーシャルメディアのように簡単に情報拡散できないぶん、広まる情報にはリアリティと人づての温かさがあった」と指摘する。

(*4)芸能人
年上の頼れるお姉さん的存在でW飯島と称された、飯島直子と飯島愛は例外だった。

(*5)欧米エンタメ/カルチャー
海外ドラマ『ビバリーヒルズ高校(青春)白書』、映画『クルーレス』、ブランディやモニカやTLCなどのR&B、英国アイドルのシャンプーやスパイス・ガールズなど。「黒いアメリカ」がクールになり、ヒップホップ/ギャングスタラップは男子に支持された。

TOKYOWISE SOCIAL TOKYOWISE SOCIAL