ゆとり世代・20代女子の相容れない価値観 夜遊びしたくないですが、何か?

2017.02.08

vol.15 TOKYO NEXT

夜遊びしてみたけど、やっぱり行かないかも。



そんな女性との出会いもあり、クラブの良さを少しだけ理解できた私は、クラブ帰りの明るくなってきた空の美しさも悪くないなと思っていた。しかし、同行の女性との帰り道、バリバリゆとり世代の彼女と話すと、やっぱり行かないなと確信したのであった。その理由は、大きく下記3点である。

1. 仲間意識がないから行かない
少々感じの悪い言い方をすると、友人にいそうな人がひとりも居なかった。新しい出会いにおいて、人は自己と他者に何かしらの類似や共感がなければ、心を開くことができない。私たちがクラブで場違い感を漂わせ、誰にも話しかけられなかったのはその為であろう。音楽も、高揚感も、ナンパも、そもそも共感できないのだから仲間意識は芽生えず、そのような場に行かないことは当然のことのように思う。

2. エンターテイメントとしての認識がないから行かない
トリに近づくにつれ、パフォーマンスの素晴らしいDJが回している時や、好きな曲が流れた時は楽しかった。つまり、自分がエンターテイメントとして認識している時は楽しいのだ。それは好きなアーティストのライブに行った時と似ており、今回の体験取材でそういった新しい感覚を得たことには、嬉しい驚きを感じた。但し、正直、DJの当たり外れがあることも分かったので、エンターテイメントとしての位置づけとなるには、東京のナイトカルチャー事情から言わせると、なかなか難しいものがあるのかも知れない。

3. 結局、ゆとり世代だから行かない!?
同行女性の毎日0時就寝の事実のように、諸先輩方から「今の若い奴らは身体をいたわりすぎだ」とお叱りを受けている、自分に優しい私たち20代。そのようなことを言われようとも “無理して” 直そうとせず、他人の価値は他人のものとして受け止める私たちは、やはりゆとり的である。夜遊びしてクラブを楽しいと思うのは他人の価値で、身体を労り明日に備える自分自身の価値を大切にしているのである。更に、ゆとり世代の人々は、世間ではその在り方を批判的意味で使用されているのにも関わらず、「僕ら、ゆとりだからしょうがないっス」とゆとり批判さえも受容していることも、彼ら(私たち)の面白い(ひねくれた)点である。

ゆとり vs 夜遊びか?

普段しない夜遊びをしたことで、考えさせられることとなった、ゆとり世代の価値観。個性を重んじ、自主性を伸長させ、生き抜く力を育てるという目的の中で育まれた、彼らの価値観は、悪態をつかれるべきものなのであろうか?ゆとり世代寄りな私としては、そうではないと言ってあげたいが、「~ですが、何か?」に代表されるような生意気な言葉遣いや、「ゆとりだからしょうがない」という態度を改める必要があると思うこともちらほら。そんなゆとり世代に忠告するとともに、さて、夜遊びの面白さを知っている諸先輩方にお願いを。どうか、その懐の深さで生意気さに目を瞑り、大人の嗜みとやらを教えてくださいませ。

(text by たてがみりむ)

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