Cafe Culture

2015.09.09

Cafe Culture
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Vol.07
カフェで文化は生まれた(かつて)


世界で最も有名なカフェといえば、個人的にはパリ・サンジェルマンの「カフェ・ドゥ・マゴ」と「カフェ・フロール」だ。小さな路地を隔てて並ぶこの2軒は古くはヴェルレーヌやランボーたちが通い、サルトルとボーボワール、カミュが口角泡を飛ばし実存主義を語り合い、ジョイス、ピカソ、ヘミングウェイが並んで座った(だろう)というカフェだ。 そこで様々な芸術論が戦わされ、お互いを認め合い否定しあい、新しいカルチャーを生み出す場の力を持っていた(今は観光スポットだけどね)。この感じは、ウディ・アレンの映画「ミッドナイト・イン・パリ」を観てもらうとよくわかるだろう。

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ロンドンにも幾つかのカフェがそのように存在し、ある時期はカフェレーサーという文化を生み出したり、とカフェという存在、そこに集うことがある種のカルチャーへの接点だったのだと思う。 翻って、我が日本国はというと、70年代にはジャズ喫茶、ロック喫茶というのが当時の学生運動と呼応しながら、議論の場であり集合場所であり、時代の空気を共に呼吸する場として存在していた(実体験w). 若さというかカウンターカルチャーが生まれる場としてカフェは重要な役割を果たしてきた。

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1980年前後に東京でカフェブームが巻き起こったのは、カウンターカルチャーではなくサブカルチャーを主体としていたのだと思う。つまりメインにカウンター(立ち向かう)するのではなく、サブ(下位)だった気がする。ちょっと引く感じかな。熱量より和み。深層よりも表層。そう考えると、今の東京カフェカルチャーから何か新しいムーブメントが生まれるのは難しいかもしれない。
さらにカフェの意味が大きく変化したのは、1996年、銀座にスターバックス日本1号店がオープンしてからだと思う。カフェで過ごす時間を個人として自由に選択する感じ。一人で過ごす時間を作るということかもしれないが、スターバックスが言うサードプレイスとしての意味合いが強くなったのだと思う。このサードプレイスという言葉が重要で、家でもなく、仕事場でもなく、個人が個人として快適な時間を過ごせる場所が、現代社会では必要だという、アメリカの社会学者、レイ・オルデンバーグの主張を体現しているひとつの典型がスターバックスだということだ。
もちろんコーヒー自体を味わうことは基本としてあるものの、カフェという場所の選択が時代と共に大きく変わっているのは事実だ。
かつてのように議論を戦わせる場としてのカフェは、今や無くなってしまったが、カフェに座りつつソーシャルで議論を戦わせたり、読み込んだりというのがインターネット時代の新しいカフェカルチャーの姿なのかもしれない。

(Text: Y. Nag)
(Illustration:ワキサカコウジ)

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