2015.10.20
- BIRTHDAY STORIES
Birthday Stories Vol.07
『珈琲妖精』
小松エメル
あ、いたいた。
店内をきょろきょろしていたぼくは、彼女の姿を見つけた瞬間、小さく笑った。彼女は今日も眉を寄せて、難しい顔をしている。せっかく綺麗な顔をしているのに、まるで癇癪を起こした子どもみたい。ぼくはそっと手を伸ばして、彼女の額に触れた。
うん、これでいい。
皺を伸ばして満足したぼくは、テーブルの上に置かれた、グランデサイズのタンブラーの中身を覗き込んだ。寒くなってきたのに、まだフラペチーノを飲んでいるんだね。それに、今日もチョコクリームを追加している! 気に入ってもらえて嬉しいけれど、よく飽きないなあ。
甘党の彼女は、ストローでフラペチーノを飲みながら、手に持ったノートとずっと睨めっこ。そこには、暗号みたいな化学式がびっしり書かれている。彼女は今、二度目の学生生活真っ只中だ。数年間の会社員生活は性に合わなかったみたいだけれど、それはよく分かる。だって、きみは勉強が好きだもの。
「はあ……」
彼女の口から漏れた溜め息の理由だって分かっている。好きでやっている勉強だけれど、本当に難しいんだよね。口を尖らせたきみは、スマートフォンを手にした。メールの相手は……あの子だ。彼女の同級生で、とても頭のいい子。
まもなく、着信音が鳴った。メールを開いた彼女は、あ! とひらめいたような顔をして、ノートにいそいそと書きはじめた。内容はぼくにはやっぱり謎だけれど、どうやら問題の解き方が分かったみたい。ほっとしたような顔をした彼女は、すぐにお礼のメールを返して、今度はタンブラーを両手で抱え込むようにして握った。
……残念。答えが分かって、嬉しそうな表情を浮かべてくれるかと思ったのに、哀しそうな顔になっちゃった。きみが何を考えているのか、ぼくは知っているよ。
(頑張っているのに、どうしてできないんだろう。あの子は一瞬で分かったのに……。頑張っているはずなのに、全然うまくいかない。悔しい……どうしてダメなんだろう)
きみは頑張っているよ。毎日早朝に家を出て、二時間かけて大学に行って、家に帰ってからも勉強三昧。この店に来て、フラペチーノを飲むちょっとした息抜きの時間だって、ノートを離さない。こんなに頑張っているきみが、そんな哀しい顔をして、そんな哀しいことを思う必要なんてないんだよ。
また眉間に寄った皺を見て、ぼくは慌てて彼女の額に手を伸ばした。何とか平らにしたそばから、貧乏ゆすりをはじめるものだから、今度は彼女の足を押さえにかかった。うう……身体が揺さぶられて、眩暈がする。こっちは一度はじまったら中々止まらないんだ。
どうしようかなと思っていたら、急にピタリと止まった。驚いたぼくは、テーブルの上によじ登って、おそるおそる彼女を見上げた。
彼女はスマートフォンを眺めていた。そういえば、ちょっと前にまたメールの着信音が鳴ったっけ。
あ……。
ぼくは背についている羽で飛んだ。ごめんね、ちょっとだけ……そう断って、彼女の手元を覗き込んだ。
わあ、ぼくと似ている妖精みたいな子たちが、わらわらと出てきた! 賑やかで可愛い絵の中には、こんなメッセージがあった。
「お誕生日おめでとう!いつも頑張っているあなたを心から尊敬しています。私も負けないように頑張るからね」
彼女は照れ臭そうに笑いながら、メッセージをくれた親友にさっそく返事をする。ぼくは思わず、大きく羽を広げて飛んだ。
隣の席で談笑しているグループの間を通り抜けて、端っこの席のカップルに祝福の声をかけながら、店中を翔けた。
ああ、なんて幸せなんだろう!
ぼくの姿や声は誰にも分からないし、彼女に届いたStarbucks eGiftも送れないけれど、ぼくはこの店に来る皆のことを見守っているよ。
「ハッピーバースデー素晴らしい一年を!」
歌うように言った時、真ん中の席にいた赤ちゃんが、ぼくを見てにこりと笑った。
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小松エメル
1984年東京都生まれ。國學院大學文学部史学科卒業。2008年
ジャイブ小説大賞を受賞し、『一鬼夜行』でデビュー。その他の著書に、
「うわん」や「蘭学塾幻幽堂青春記」の各シリーズや『夢の燈影』などがある
。