2018.03.29
- 完全ファン目線の安室奈美恵論
変化するアーティストを追える幸せ
確か爆笑問題の太田光氏だったと思うのだが、若い頃に好きだった映画監督について、「ある時について行けないと思って追うのをやめてしまったが、今思うとそれは間違いだった、信じてついて行けば自分のほうが変われたかもしれなかった」というようなことを言っているのを聞いたか読んだかしたことがある。出典が明らかでない発言を公の場で引用するのはいかがのものかと思いつつ、安室奈美恵を追い続けてきてまさに実感することなので、ニュアンスが違ったり万が一太田さんじゃなかったりしたら本当にごめんなさいと心の中で謝りながら引用させていただいた。というわけで今回のテーマは、「変わっていく安室ちゃんを引退まで追ってこられた幸せ」についてである。
変わる音楽、変わらぬライブ
筆者が安室奈美恵のファンになったきっかけは、産休が明けてすぐに放映されたNHKのドキュメンタリー番組だ。彼女が並外れたリズム感の持ち主であることはコギャルの教祖だった頃から感じていたが、『I HAVE NEVER SEEN』の間奏の「カッカッ」という音を完璧に、しかし実にさりげなくとらえて踊る姿を見て改めて衝撃を受けたのだ。音と振付が彼女の身体を通じてシンクロする瞬間をもっとたくさん、生で観たいと思って初めてライブのチケットを取った。それから約18年、彼女のライブスタイルが変わっていないことは前回述べた通りだが、音楽の方向性はと言えば、こちらはだいぶ変わっている。
正直に言えば、小室哲哉プロデュースを離れたばかりの頃は、ニューアルバムを聴いてそれこそ「ついて行けない」と感じることがあった。彼女が傾倒していったヒップホップ系の音楽があまりにもカッコ良すぎて、J-POPを聴き慣れていた身には気恥ずかしかったというか…。また、全編英語詞の楽曲がどんどん増えて、気軽に口ずさめないという悩みが生まれた時期もあった。それでもファンであり続けられたのは、ライブに行くと「安室ちゃんがやりたいのはこういうことだったのか…!」というのが明確に見えたから。楽曲を選ぶ際の基準はライブで盛り上がるかどうかだ、というのは彼女が普段から口にしていることだが、ライブ会場には、その言葉の意味がまるっと分かる空間が常にあったのだ。
安室奈美恵は、一つの楽曲であっても、音源とミュージックビデオとライブとで全く別の作品を作っている。音源もMVもそれぞれにクオリティが高いが、さんざん述べている通り、メインの作品は絶対的にライブであって、ライブを観ずして彼女を語ることはできない。数年前に某芸人が、『Let Me Let You Go』のMVでピアノの弾き語りをする彼女を見て「本当に弾いてない」とかいう批判を繰り広げる騒動があったが、ファンはきっとみんな「何言ってんだ」と呆れていたことだろう。ライブで弾く振りをしたのならともかく(するわけない)、MVで弾いていたのは、そういう画が作品に必要だったからに過ぎないのだから。彼の“メインの作品”であろう芸をそれこそ知らない分際なので、批判しようとかいうことでは全くないのだが、とりあえずファン目線で言うとかなり的外れだったことだけは述べておきたい。
引退という最大の変化を前に
という余談はさておき。そう考えると、安室奈美恵のファンであり続けられたのは筆者自身の功績などではまるでなく、太田氏が追っていた映画監督と違って(推測)、彼女がコンスタントにライブをし続けてきてくれたからに他ならない。1~2年に一度は必ずニューアルバムを出し、そこに収録された楽曲を中心に据えたライブツアーを敢行し続けてきた彼女。そのおかげで、筆者の「一番好きな安室奈美恵のアルバム」は、常にその時点での最新アルバムだった。ファンとして、こんなに幸せなことがあるだろうか。
ニューアルバムを心待ちにし、発売されたらじっくりと聴き込んだ上でライブに臨み、そこで再発見した魅力を感じながら再び聴き込む。ライブ自体は非日常空間だが、我々ファンにとって、そうした「ライブ中心の日々」は日常だった。筆者はフリーライターという仕事の都合上、急な依頼にもできるだけ応えられるよう、先の予定はあまり決めないようにしているのだが、安室奈美恵のライブだけは別。チケットが発売されたら、とりあえず地方を含めた何公演かに申し込んでみて、当たったところに行く。発売はライブの何か月も前だが、当たった以上は何が何でも予定を空ける、自他ともに認める最優先事項だった。
地方公演に申し込むようになったのは、東京より当たりやすいと思ったからだったが、いつしかライブをきっかけに国内旅行をすることもまた日常となった。大阪、博多、札幌、静岡、沖縄…。会場で出会う人々は皆同志であり、自然と会話も弾む。写真を撮り合い、紙テープや風船を譲り合い、地元の美味しい店を教え合った。楽しい思い出は数知れず、その意味でも安室奈美恵への感謝は尽きることがない。そんな日常が今年で終わるのだと思うと、寂しさは測り知れないが、引退という彼女の決断について行くことで、きっとまた新たな自分に出会えるのだろう。最大の「変化」を迎えた今、そんなことを感じている。
町田麻子
フリーライター。早大一文卒。主に演劇、ミュージカル媒体でインタビュー記事や公演レポートを執筆中。
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